雑記

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「僕っ娘って痛いよね」

タイトルは女で『僕』とか『俺』とか使う人間に対する世間一般的な感想である。

全然気持ちは分からなくはない。というか自分も思っていた。

 

全ての始まり

自分が男っぽく振る舞おうと決めたのは幼稚園年中の時で、物心ついたときには頬と体にがっちり肉が付き、同い年の中で一番背がデカく、転園先の幼稚園へ母に手を引かれながら初めて足を踏み入れた時、こちらになんだなんだと駆け寄ってきた男の子に第一声「うわ!デブだ!」と言われた瞬間、そういえば親や親戚、周りの自分への外見の評価がどうやら女の子らしくない、おしとやかじゃない、てかデカい。という女の出来そこないと言えるものばかりだったのを思い返して全てに合点が行き、「あっ自分女じゃダメなんだ」と独自の解釈をしてしまったのです。

もっと細かく言うと家庭環境とかちょっとした不運とかが重なって自分は世界に歓迎されていないと無意識に感じ取っていたことがちゃんとした形になって目の前に回答として現れた瞬間だった。

 

それからは女らしく振る舞ったら気持ちが悪いんだと思って意図的に女の子の遊びとされるママゴトやらお人形遊びは避けて、男の子と園庭に出て鬼ごっこしたり、ダンゴムシを摘まんだり、砂場に川を作ったり、ダンボール弓矢で戦ったりそういうことばっかりやっていた。そもそも決定的なあの出来事が起こる前から自分はそういう大人しい遊びにあまり興味が無かったような気がしていて、前の幼稚園で唯一覚えているのが男の子の家に遊びに行って髪の毛を引っ張られて喧嘩をしたような...僅かな記憶しかない。だからか意図して女の子らしくない振る舞いをすることにさほど違和感は無くて、むしろスッキリした気持ちで毎日のびのび過ごしていた。

 

...のはほんの一瞬だけだった。

 

「デブだ!」と言われてなぜそこまで考えが飛躍しちゃったの?と普通の人はもしかしたら思うのかもしれない。言った張本人の男の子も筆者を見た感想を素直に言っただけで多分何も考えてなんかはなくて、女らしいことなんか似会わないからやめろなんて思ってなかったかもしれない。でも毎日夜更ししてバラエティー番組にくぎ付けのテレビっ子だった自分は女芸人達が女性として当然のようなことを言ったりやったりするだけで笑いが起こったり男の芸人やその他すべての空気が「オェー」と気持ち悪い感情を露わにするのを見ていた。女芸人には太った人も居て、自分はその人と同じなんだ、と思った。短絡的思考だと鼻で笑うかもしれないけど、3~4歳?の自分にはそれが知っている世界の仕組みだった。

 

誰が憧れのヒーローだったか

子供は自然とごっこ遊びをする生き物なんだと思う。

本気で成りきる何かが多分誰しも必ずある。男っぽくなるぞ!と志した自分の場合...。

男の子に混じって遊んでみるけど彼らの好きな遊戯王ベイブレードポケモンも、仮面ライダーウルトラマンも戦隊ヒーローも幼稚園生の自分にはいまいちピンと来なかった。

かといって女の子が好きなのは...あの頃の女の子達は何が好きだったんだろう。知らない..おジャ魔女どれみセーラームーン?まだプリキュアは始まっていなかった、消去法で考えたらディズニープリンセスかも。そういえば1つ下の従妹はアリエルが好きだった。対して筆者はお姫様とか自分に関係ないものだと勝手に思っていた。

 

前述した通りバラエティー番組が好きで夜更しばっかりしていたので日曜朝の子供向けアニメや特撮を全く見ないで育った。

 

じゃあ何が自分の目に憧れとして映ったのかというと..

夕方に放送していた「犬夜叉」の主人公、犬夜叉だった。

犬夜叉は当時の自分の目に映る中で一番強くてかっこよくて「ああなりたい!」と本気で思った。完全に感化されてしまい、遊戯王一色の仲間内の中で一人「散魂鉄爪!」とか叫びながら犬夜叉のように姿勢を中腰にして爪を立てて駆け回っていた。最高にごっこ遊びをエンジョイしていたのはあれっきりだと思う。

 

自分が短い幼少期を自分なりに謳歌しているのを快く思わない人が居た。

母親である。いや母親だけじゃない、同い年の女の子達。

「なんであいつ女なのにママゴト混ざんないの?」「折り紙グチャグチャにしか折れないの?」「おしとやかにしないの?」という同調圧力

女の子というのは面倒見が良いことが求められる。男の子が虫を捕まえて足を捥いで遊んでいる傍ら「女の子だから困っている子を助けてあげましょう。問題を起こす子を正しい道に導いてあげましょう。」と小さい頃から教えられる。私がバラエティー番組で学んだ世界の仕組みと同じように彼女たちもそれが正解だと思って振る舞うのは当然だ。

 

母親は娘を産むのが夢だった。筆者が生まれる前から御下がりにできるようにと兄にピンク色の装飾品ばかり着せていたことをとても嬉しそうに懐かしげに何度も話した。娘に固執するのはどうも「友達親子」という概念に憧れてのことだった。一緒に女同士水入らず楽しく過ごしたーい、等。

そのたびに子供ながらに息苦しくなった。ピンクなんて自分が着たら気持ちが悪いのに。。体が女の形をしているだけでちっとも女らしい格好なんか似会わないししたくないと思った。

そして自分は口に出して伝えたりしたけど、親というのは生まれて数年の生き物の言葉なんかまともに聞きやしない。人格が別の人間だと思っていない。目の前にいるのは自分の細胞が分裂してできた分身だと思っているのだ。

 

そんな世界の同調圧力なんかに負けず、というかむしろその逆境が反抗心を炊き付けずんずん我が道を進んだ。自分の体は女だけど女らしくすることは周りから見て気持ちが悪いから仕方ないじゃないか、なんで身の回りの人たちはチンプンカンプンなことを言うんだろう?としか思っておらず。ついには犬夜叉リスペクトで「オレ」を使うようになった。

 

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話変わって、女がいくら「自分は男だ!」と言い張ったところで髪を短くしたり男装をしたり手術をしたりしないと社会からは認められない。ここで現在の筆者はそういった外見を男っぽくしているのか、というと全くそんなことは無い。犬夜叉になりきっていた頃もフリフリ、ピンク、リボンは嫌いだけど外見を男にしようとは全く考え付かなかった。だってちんこは付いてないし、女の体を否定することはとても悲しかった。

 

何がしたいわけ?と言う感じだけど、素直な気持ちとして自分の体が女であることは変えようのない現実なのだからそれを否定してしまったら全部何もかもダメになってしまう気がしていた。これは無意識で思っていたことで、親に無理矢理長い髪をベリーショートにされてしまった時に強く自覚させられた。心も見た目も全部女の出来そこないで男にもなれない化け物になってしまったと泣いた。現に男に間違われ、すごく悔しい気持ちになって二度とベリーショートなんかにしないという決意が固くなった。その件以降どうしても美容院が苦手になり、一般常識だとお洒落スポットでしかないけど自分には取り返しのつかない恐ろしい何かが起こる場所でしかない。

犬夜叉ってかっこいいけどたっぷりした長い髪がかっこよくて、その兄の殺生丸もロングヘアで、自分にとっては髪が長いことはかっこいいことでもあるから大丈夫なんだと思えた。

 

総括すると自分は男に見られたいわけじゃなくて、女らしくない女として生きたかっただけなんだ。

 

 

一人称が決まらない

小学生になった筆者は「自分はきっと男になりたいんだ」と思い込みつつも、「女であることも捨てられず」、弱い人間だなと自己嫌悪を起こしていた。

視野が少し広がってヒーローに本気でなりきるゴッコ遊びなんか恥ずかしいものになり、誰がどういうことを言ったら「痛い」とか断罪する視点も身に着けた。

幼稚園の保母さんと違って小学校の教師は勉強や一般常識を教える義務がある。だから溜息をつかれつつ、のびのびやんちゃな問題児として見逃されて生きてきた自分は目を付けられ、文字の書き方、言葉づかい、足を閉じる、色々矯正されることになった。ADHDなので上手くいかなかったけど。

そんな社会の中で自分が『オレ』を使うことは変なことなのだと嫌でも自覚するようになった。でも『私』はなぜだかちっとも使いたくならなかった。だってなんかお淑やかで良い子ちゃんぶっているような単語に思えた。多分お行儀の良い「普通の」女の子達が『私』を使うのを聞いてきて、一緒になりたくないと反射的に思ってしまったのだ。変だと言われる『オレ』を使うことより自分らしくない一番不自然なことにしか思えなかった。

結果、筆者がどうなったのかというと、『ウチ』を使うようになっていた。これこそ女子っぽくね?というツッコんでしまいたくなるけど、お行儀良くなさポイントがマシに思えたので仕方がない。歳の離れた義兄と久しぶりに会った時「ウチ」を聞かれた時何故かバカにされて恥ずかしくなったけど、それがなぜなのかよくわからないし癖になってしまったので今更変えることもできずにその恥ずかしかったできごとは一回忘れることにした。多分「なんかこいつ背伸びして一人称変わってるじゃ~ん」と大人が子供を小ばかにしているあるあるだろうけど。

 

忘れることにした..だけどできなかったので『ウチ』を使うことに嫌悪感が噴き出た筆者はさらに変なことになってしまう。

発達障害者は嫌な思い出忘れられないってヤツ?

 

思春期突入

『私』も『オレ』も『ウチ』も使えない、どれも恥ずかしくて自意識を拗らせに拗らせた結果一人称がとうとう『わし』になってしまった。

まだ小4である。メインの一人称が『わし』語尾に『じゃよ~』を通常営業でそれである。

それが一番恥ずかしくない、おふざけだとすぐにわかる一人称だった。その頃には言葉づかい以外にも見た目の嫌悪がMAXで「わしはじじいじゃからの~。」とか口走っていた。「おばさんだからね~w」とかも既に口癖になってしまっていた。かっこいい犬夜叉に憧れた自尊心はかけらももう残っていない。

 

病人に

その後病気になって入院したり、そのせいで家庭崩壊が激化したり、なんやかんやあって元々無かった自尊心もマイナスを大きく振りきれて「死にたい」と口に出るようになっていた。

そしたらもう自己の一貫性みたいなものが成り立たなくなってしまったらしく、『わし』『ウチ』『俺』『僕』+社会の目を気にして頑張って使い始めた『私』の5種類をその時々何も考えずにローテンションするようになった。『オレ』と『僕』は使いたかったのをずっと我慢していたのがヤケクソになって解禁したのだ。もはやここまで来るとただの問題児じゃなくて「ちょっとスベリ気味のお調子者」のポジションを確立できた。なので『私』を使いなさい!とか言われなくなる。それどころじゃないので。「変なの~w」と言われても俺という生物がおかしいんだから言葉づかいなんか些細な問題じゃないと気にならなかった。

 

正直『俺』『僕』を使うのは中二病だよなと自覚して照れてたけど、開き直って頑張って使った。だって本当はこっちの方が使いたいんだもの。

と思っていた矢先に銀魂が流行り、女でも当然のように『俺』を使った銀魂語録を叫ぶのが珍しくなくなった。最初は「うわ~!自然に『俺』使える!!これ、これを求めてたんだずっと!!!」と感動した。2年くらい銀魂ブームに熱狂していたと思う。でもやっぱりその楽しい時間は長く続かなくて、ネットを既に見始めていた自分は「腐女子銀魂みたいな喋り方キモい」という言葉をだんだん目にするようになり、『俺』に二度目のお別れした。もう1年すれば高校生になろうとしている。中二病なんかに浸ってる場合じゃない。恥ずかしい。痛いヤツ。そう思われたくなければ『私』を使うしかないと本気で矯正した。

 

そして今に至る。リアルではそれ以来使わなくなったけどネットでは『俺』を気軽に使うことはよくあった。でも結局「女なのに?」と言われてなんかモヤモヤしたまま「やっぱ変だよねーw」とか言いながら辞めて、の繰り返し。

 

自分の『俺』、『僕』、男性性への憧れはオタク的憧れのもっと前、もっと深い純粋な憧れなのに中二病と全部一緒くたにされるのが正直嫌だった。そんなんじゃないのに。シンデレラに憧れて、小さい頃からJK、花嫁になってもずっと変わらずに白馬の王子様が現れるシンデレラストーリーに憧れる女性ときっと根本は違わないはずなのに。なんて心の中で言っても自然とオタクになってしまった時にはもう説得力なんか無かった。「『僕』を使うのが許されるのは二次元だけだよね~。三次元キッツ」というのがオタク内での常識だし、アイドルで可愛い見た目をしているのに『僕』を一人称にしている「僕っ娘」なんてのも目にしたけどやっぱり顔が可愛かろうが「不思議ちゃん」「痛い子」の烙印を押されていたし、その世間の雰囲気にすっかり毒された自分も当然のように「中二病を卒業できない痛いヤツ」だと断罪していた。

 

そして時は経ち...色々と自意識を肥大化させて生きづらくなっていたのが年々解放されて、完全にネット上だけでも開き直ることを思い立った。「『俺』は『俺』を使うぞジョジョーッ!!」勢いとしてはそれくらい。ずっと迷ってきたからね。心の傷は時間が解決してくれるのかも..。しかるべき場所で休養する条件が不可欠だけど。

 

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結果、大分楽になった。『わたし』の三文字を入力して変換するそれだけのことに何故か違和感を抱いてたんだな。本当は『俺』と言いたい部分で我慢してきたんだなと言うのを実感した。

それから今日、心の中でずっと「痛いヤツ」認定してきた「僕っ子」のアイドルやらアーティストを見てなんかすごくホッとした。なんだ、そっち側の景色ってこんな感じだったんだ。後ろ指刺されようが自分の気持ちを優先して自分を偽らないことはかっこいいとすら思った。掌クルクルーである。ごめんなさい。

でも、人生ずっと一人称で悩んできたからか『俺』統一だと逆にガチガチすぎて落ち着かないこともあったりして。上手くいかないもので、気分によって変えるのが一番なのかもしれない。だから気分によって変えるよぼかぁ。

おわり。